嫌な夢

夢を見た。

学校の全校集会か何かで、おそらく保健委員になったであろう自分がみんなの前で結果報告と感謝をするという場面だった。

そこで僕は本?プリント?どちらかに直接書き込んだカンペを用意してきたのだが、みんなの前に立った瞬間にそのページがどこだったのかわからなくなり、ちょっと待ってもらうように伝えた。

そうすると途端に集会全体がざわざわとし始め僕がページを見つけて話し出した時には声が届かないほどの状態になってしまった。それでもなんとか声を張り上げて話すのだが、話すこと話すことの途中で茶々を入れられて話の主導権を握られてしまう。

そしてそれを収めて話そうと繰り返しているうちにもはや何を話そうとしていたかすらわからなくなってしまった。

なぜかわからないがこんな夢を見たのだが、こんなはらわたが煮えくり返るような気持で朝目覚めたのは初めてだと思うし、自分の中で一番経験したことのある嫌な気持ちを結集したような夢だったと思った。

特に自分の話そうとしたことに茶々が入るというのは本当によくあるのだ。それは実際の他人によるものもそうだし、「これを言ったらよく思われないかも」という自分自身のブレーキによるものもある。

率直な自分の気持ちを吐き出すことはリスクが高くて今のご時世難しいのかもしれないが、こんな針のむしろのような気持ちでいるのならいっそ吐き出して気持ちよく切られた方がましなのでは?とも思った。

それと同時にそんなときのために僕は今のブログを作ったのだとも思った。そしてまんまと今その経験を吐き出している。

人には本音を吐き出せる空間が必要だ。そしてそれはブログかもしれないし、友人との酒の席なのかもしれないし、ネットの掲示板やTwitterなど匿名性の高いSNSなのかもしれない。

ただ僕はこれについて発言として引っ張りだされて「こいつこんなこと言ってましたよ」と見世物にされることは精神的にかなりキツイと思う。

こういう本音はぎりぎり世の中の目に触れる場所で出さないとある程度発散されないし、かといって大衆の議論やら解釈でやり玉に挙げられるのはしんどい。そんなとてつもなく厄介で複雑な性質なものをうまく破棄できるためにはどうした良いのだろうか。

それこそ捨て方の煩雑なゴミを捨てるように専用のごみ袋としてそれとすぐわかるようなラベルを付けておくのはどうだろうか。例えばSNSで挙げるとすればハッシュタグとかをつけて"#破棄する言葉"とか、あとはゴミの回収みたいに時間を決めるのもいいかもしれない。朝6時から朝8時の間にみんな一斉に愚痴を吐き出して、8時ちょうどになった瞬間にその2時間の間発言された言葉をそのサイトの管理人が一括で削除するとか。たまに吐き出すの遅れて何人か8時1分とか2分とかにとてつもない罵詈雑言が残っちゃったりするのもそれはそれで可愛らしくて良いと思う。

周りのために言葉を使うのと自分の精神のために言葉を使うのは違う。それをごっちゃにされないようにこれは自分の言葉で今はそれを言わせてくださいという明確なターンというか線引きというか吐き出し口があった方がいいんだろうと思う。