歳を取ったのかもしれない

最近暇な時間があると昔のことを思い出すことが多くなった。

例えば中学生の時にハマっていた物や見ていた番組などである。

 

つい一年前くらいまでは昔のことを思い出すことなんかは本当に恥ずかしくて、いわゆる黒歴史みたいなものでなるべく思い出さないようにしていたのだが、ここのところ自分の中である程度冷静に思い返せるようになったのか、思い返してなんであれにハマったのか、なぜあんなことをしていたのかを考えるのが楽しくなってきた。

 

そこまで考えて昔話から我に返ったときにハッと思うのが早くも老いがやってきたのではないかという気持ちだ。

僕が昔からイメージするおじさん像は決まって「俺が若いころは」という口癖を持っている。

まだ、他人に自分の過去をひけらかすような域に達していないだけで、記憶の引き出しを開いたときにやたらと過去のものだったり、時代の違いが気になったりというのはおじさんの思考パターンなんじゃないかと思えてくる。

 

今はそんな他人に時代錯誤な昔話を聞かせる人には絶対ならないと思っているのだが、少し前まで過去のことなんか全然考えていなかった僕が徐々に昔の記憶に引っ張られていくことを考えると、もう2~3年したら当たり前のように昔話を自慢げにしているのではないという気持ちに駆られる。

 

ここまでの話をもし自分が客観的に読んだとするなら読者から見る僕のイメージは半おっさんかつ自意識過剰なダサい男だ(ダサいももはや死語なのか)。ただ、ダサいおっさんからの説教じみた言葉としてでも良いので”子供のころだったり、昔のことを思い返すのはそれなりに有意義だ”ということを書いておきたかった。

 

それこそ自分がどんな気持ちで夢中になっていたのか思い出せないくらいの過去のことを思い出すと意外と大人になってからでもその延長線上で楽しめる趣味や娯楽を発掘することができる。

 

例えば僕の場合は中学生のころパソコンを買い与えられた僕は、理由もなく異常なほどいろんな有名人やネットで話題の人などのブログを読み漁っていた時期がある。それは遠からず今僕がブログを書いているということにもつながっているのだが、それ以外でも試しに芸能人もののエッセイ本なんかを読んでみると中学生時代と何ら変わらない熱量で没頭することができた。

 

これは外から見たら大したことない趣味かもしれないが体感としてはものすごく有意義に時間を使えた気がしてくるし、実際充実感がある。

周りを見渡して面白いものがないなと感じたら、おじさんおばさんになった気分で昔を掘り返してみることをお勧めする。