帰る

こないだある出張仕事があり、仕事終わりに自宅に帰ろうとしたら終電を逃した。

 

僕は電車で通勤しているが一駅だけの乗り換えをするところがある。

ちょうどその乗り換え地点。自宅の一駅手前で電車がなくなってしまった。

 

そういうときはタクシーでも拾って帰るのだが、その日はなぜか投げやりな気分だったので歩いて帰ることにした。

 

かなり暗い帰り道を長い時間をかけて歩くのは相当に久しぶりだった。

夜中にじっくり歩いていると頭の中で色々な思考が勝手に始まる。

・明日の休みの一番有意義な使い方は何なのか。

・自分に今以上の価値を持たせるには何を勉強するべきなのか。

・そもそも自分の価値とは何で決まるのか。

・組織の中で生きることがなぜしんどいのか。

・それが仮に管理されることによるのなら管理されないで生きるにはどうしたらいいのか。

そんなことを誰もいないことをいいことにぶつぶつと独り言にしながら歩いて帰っていたのだが、結局仕事で疲弊して眠気も極限に達している状態でその答えにたどり着ける感じもなく、自宅につくころには肩が凝っていたのか体が動かしたくなり、ひたすらにスムーズなバッティングスイングを追求するという遊びを始めていた。

 

それでも普段自分を客観視した社会的地位とか、今後の展望とかと向き合うことが極端に苦手な僕にとっては貴重な自己分析だと感じた。

 

30分近く歩いて自宅にたどり着いたのだが、その間での収穫は肘を意識しすぎず腕で振るようにするとスムーズにスイングできるということと、自分が何ができるかを説得できるだけの材料を手に入れる活動をすべきだということくらいだった。

 

そのぐらいの収穫だったが、珍しく朝からみっちり働き、終電がなくなるほどまでに働いた仕事で得たものよりも価値がある気がした。

 

仕事での経験が銅だとすれば、帰宅中の思索は掘り出したばかりで磨かれていない金みたいに思えた。

 

その小汚く金なのかもわからない塊を懐に入れて、来週からも銅を採掘していくのかもしれないけど、それでもいいとも思えた。