お笑い評論家になんかなりたくないのよ

こないだみたIPPONグランプリは大体全部面白かったのだが、忖度がどうのみたいな話が挙がっているのいるのをみてびっくりした。

タイトルの通りで僕はお笑いは面白がってなんぼという考えがあるのでそもそも面白いのかどうかという疑問符をもって見ること自体好きじゃない。

もう少し踏み込むと面白がり方というか面白いと思う捉え方を広げる努力で面白いと感じられるようになるのであればするべきだと思う。

別のジャンルで例えると、野球素人の人とかが野球観戦をする場合、結構な人が「〇〇の150km越えのストレートが見たい」とか「4番の〇〇のホームランが見たい」とかそういうところに注目するのではないだろうか。

それもめちゃくちゃすごいことだと思うし、実際見ると迫力は半端ない。ただ、すごいことだけど、それ以外の選手のプレーを何となく流し見してしまうのはもったいない。

なので観戦するにあたって戦術とか作戦についてちょっと調べてみたりとか、「この人は何が何でもつなげるバッティングをする」とかの知識があれば野球全体で見どころがめちゃくちゃ増えるし、ハマることはないまでも何もすることがない休日昼間なんかにテレビで野球をつけてそれとなく見ていられるくらいにはなってくる。

大喜利の話にもどると、結構キャラものというか個性派の人が面白いと言われているのをよく見たのだが、もちろんキャラを自分に降ろしたりとか、「どんな考え方してるの?」というようなとびぬけた発想を持っている人がすごいのは当たり前にあるのだが、定番のフレーズに大喜利のお題を当てはめたりする技法の中を「この答え方ありきたりだな」とみるんじゃなくてそういう技法があるのを何となくわかってそこから「この言葉を選んできたか」みたいなセンス部分で笑えれば単純に楽しいものが増える。

お笑いの話というより世の中の見方の話にもつながるかもしれないけど、せめてバラエティ・エンタメ番組くらいは意地でも面白いと思って楽しんで生きてかないと人生もしんどいだろう。

普通の人よりはお笑い番組を少しくらい多く見てる自信があるが、よっぽど嫌悪感がない限りは意地でも面白味を見つけて笑う。

そういうゆがんだ確証バイアスの使い方もある。